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千葉 止まった時計、小さくない教訓 [東日本大震災]

語り繋ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・

千葉 止まった時計、小さくない教訓
産経新聞 1月29日(日)7時55分配信
 「午後5時26分」。その時計塔は、津波が押し寄せた時間を刻んだまま止まっている。
 時計塔は千葉県旭市の旧JAちばみどり飯岡支店の前に立っていた。海岸から約100メートルの場所にある支店を津波が襲った際、1階部が浸水して電気系統が壊れ、時計も動かなくなった。
 「津波の恐ろしさを後世に伝えるためにも、シンボルとして残したい」
 そんな思いから、津波被害に遭った市民らが時計塔の保存をJAに申し入れた。受け皿として「いいおか津波を語り継ぐ会」をつくり、時計塔を使った記念碑を建てる活動を始めた。老朽化のため震災前から使われていなかった同支店の解体作業は前倒し。時計塔は昨年10月に取り外され、現在、会員宅の倉庫に保管されている。
 時計の針が指す午後5時26分は、13人が死亡、2人が行方不明となった旭市で、最大の被害をもたらした津波の第3波が襲ってきた時間帯だ。犠牲者の多くは、第1波、第2波が小さかったためそのまま自宅にとどまっていたか、避難したにもかかわらず波が引いた後に自宅に戻ったため、巨大な第3波にのまれてしまった。 「早く逃げていれば、家や物を失っても命だけは助かった人が多い。こうした悲劇を風化させないためにも、時計塔は忘れてはならない存在」と、語り継ぐ会代表のTNさん(63)は話す。
 今回の震災で、千葉県の津波による住宅被害は旭市の飯岡地区に集中した。要因の一つに、江戸時代の元禄地震(1703年)との関連を指摘する説がある。
 県の防災誌によると、元禄地震では県内の2千人以上が津波で亡くなった。津波被害のほとんどは九十九里海岸の南部から房州にかけてのもので、北東部の飯岡地区に被害の記録は残っていない。その後、津波に浸食された村は内陸に移ったが、無事だった飯岡地区は海岸に隣接した集落が現在まで残っていた。
 こうした過去の経緯が、今回の震災で生死を分けたとするならば、語り継ぐ会の活動は今後の津波防災対策に大きな役割を果たすことになるかもしれない。
 語り継ぐ会では被災者が「語り部」となって、海岸沿いの町を案内しながら津波体験を語る防災教室を開いている。代表のTNさん自身も、自転車で自宅に向かう途中、高さ2メートル以上の波に襲われて100メートルほど押し流され、九死に一生を得たという体験を語る。
 「人の力で津波を防ぐことはできない。防災より減災が大事だということを身をもって知った。被災地の現状を多くの人に知ってもらうことで、減災の考えを広めていきたい」とTNさんは訴える。
 市外から来るボランティアが「あまり知られていない被災地」と口をそろえる旭市。東北地方と比べれば小さな被災地かもしれないが、そこから得られる教訓は、決して小さいものではないように思う。(千葉総局 城之内和義)
ヤフー社会ニュースより全文掲載

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